なぜ「情報」は高校で邪魔者扱いされるのか

2003年に高校の必修科目となった「情報」であるが、進学校の一部では模試などの時間に振替えられ、教科書が期待する指導をしないまま卒業する高校生も多い。
一方、大学や専門学校に入った途端一気に専門的な内容を学習するため、ついてこれない学生も多い。
原因として、高校の情報を指導する指導者が少ない事はもちろんのこと、情報の専門知識を持つ者が少ないという側面もある。
また、日本ではコンピュータは簡単に使える物という考えが浸透し(MS-DOSはサラリーマンの殆どが使いこなせず投げ出したと言われた)、その裏側を指導する情報は嫌悪され、「情報が得意」という学生は少なく、嫌いだ面白くないと言われたらじゃあ自習にしよう、というのは避けられない。
その結果、ワードやエクセルの簡単操作で合格とする学校もあるなど、情報モラルの低下が懸念されている。
特に近年多いTwitterでの炎上事例は、情報モラルの低下そのものである。LINEと同じように使ってしまったら、痛い目に合ったというが、それはクローズドかオープンかという仕組みを分かっていないからである。
平成25年度から新設された2科目は、「社会と情報」が情報の表側、「情報の科学」がいわゆる情報の裏側となっており、それぞれ指導内容を定めているが、本来情報というものは毎日状況が変化する中で、現代において指導内容を定めること自体が時代にそぐわない。
現代の指導内容が、スマートフォンにおいついていないというのはもっともである。
そして私はプログラミングこそ情報の真骨頂であり、若いプログラマーを育てるためにもドンドンやって欲しいと思っているが、本格的なプログラミングは専門高校でのみ扱う内容とされ、普通高校ではほとんど扱われない。やはり情報というものは実習あってこそ身につくもので、体育と同じようなものである。
私であれば教科書の枠を超えて、世の中の情報基盤を支える実例を挙げ、「YouTubeでテレビ局はなくなる」「Suicaとはなにか」「iPhoneの使い方」など、オフィスソフトを使うという平成初期の考えではなく、近年普及したアイテムをタイムリーに取り上げる。そうすることで興味を持ってもらい、嫌いという意識をなくす。その上で、使うのはいいがこういう点に注意しましょうとして一コマが終わる。面白いと思われる授業にしなければいけない。情報とは世の中の入り口なのである。
2進数の変換や1byte=8bitなどの考え方は、今では知らなくても使えるようになっているので、特段教える必要もないように思うが、計算こそさせなくても選択式として知識を問うぐらいのことは必要なように思う。
「便利と引替えに何かを失う」とはよくいったものだが、iPhoneをはじめとするスマートフォンの普及は、大容量の情報を簡単に扱うことができる麻薬のような存在であり、本当は危ないものだが、誰もその危険性を指摘しない。

既にコンビニと同じように世の中のインフラとして普及した情報。他教科への時間の振替えの問題、指導内容が時代に追いついていない問題も含め、抜本的な議論が求められている。