文科省「ギフテッド」どう対応 好きな事を伸ばすのが教育のあるべき姿

文科省がギフテッド(能力が特筆的に高い生徒等)について、生徒個人に配慮する支援等をしていくと発表したが、特定の教科においてものすごく優秀な人はクラスに1人か2人いるのが現実である。その子は殆どの場合特定の教科のみテストで100点取るが、他の教科は普通というケースが多い。
私の場合は中学の技術はほぼ毎回90点超え、一回だけ99点だった事があるがポインタと書いて△を食らったが、パソコン画面上に現れる動く矢印の名称を答えよみたいな問で、本来の正解はマウスポインタであった。その理由はポインタだけだとマウスポインタと変数における座標を指し示すポインタのどちらか特定できないという普通の人なら○であるであろう重箱の隅を突いたような指摘であった。答え合わせの際に抗議を受け付けますと言われたが抗議は提出せずそのまま確定した。
高校の情報(教科)もテストではほぼ90点を超えていた。授業やテストは出来ない人に合わせて設計される為、つまらないと思ったのが本心であるがつまらないと言っても他の子たちに迷惑が掛かるだけなので鷹の爪を隠した状態で素人のフリをしながら授業を受けていたのが本音である。「変数とは文字を入れる箱です」で1コマが終わったりする訳であるが、それで何か?と思っていたのを表情に出さずに耐えるのが日々の授業であったという所である。みんなが難しいと言っていたテスト(30点台連発)で私はそれでも70点ぐらいだった時があるが、あまりにも苦情が多かったのかアンケートが取られ私が難しいと記述したらその次のテストは超簡単になったのは笑った所である。
このような子の場合、先生より遥かに天才的であるケースが多い為、先生の指導はもはや不要といっても過言ではない。むしろその子が授業しても成立する、あるいは先生に指導できるレベルであり、私の場合は先生から「出来ない子たちに教えてきて」と言われたぐらいであった。生徒側も先生を呼ぶ前に私を呼んでいたぐらいであった。当方の環境では「教える事で自分も身につく・みんなが成長するのは良い事だ」という方針で天才的な生徒は指導側にどんどん回していた。先生は天才的な生徒を排除しようとするが、その能力を生かそうとする先生はなかなか少ない。同じ部屋で良いよと言う人も居れば、教えたい人、授業したい人、別室がいいとか、情報とかだともはやパソコン触らせてくれという人もいる訳であり、大学のように教科書とレジュメだけ配って後は好きなように過ごしてね、中間・期末試験だけはするのでというようなやり方もあり現場において天才的な生徒の意向を踏まえながらどのように授業を展開していくのか、排除するのではなく受け入れて生かすという方法が好ましいだろう。