河野氏ブロック祭りは「問題ない」表現の自由阻害?リプ無しでもエゴサ様相


河野氏がツイッターで気に入らない人をブロックしているのは有名な話であるが、ブロックされた人がスクショを撮って拡散し続けている。「#河野大臣にブロックされています」というハッシュタグが話題になったようであるが、私人であればまだしも、表現の自由を尊重すべき公人が気に入らないアカウントをブロックするのはどうなのだろうか。最近は相手に知られないミュート機能もあるはずだし、それを理解せず未だにブロックにこだわる理由を説明してもらいたい物である。安倍前総理はいかなる投稿であっても「黙って耐えている」としており、辞めろ辞めろと吠え続けた日刊ゲンダイに対して2016年に以下のような答弁をしている。

言論の自由、表現の自由はですね、まさに民主主義を担保する物であります。当然尊重されなければならない訳でありますが、同時に現在、まるで言論機関が萎縮しているかのごときの表現がございます。全くしていないと思いますよ。では、例えば、今日夕方帰りに日刊ゲンダイでも読んでみてくださいよ。これが萎縮している姿ですか?萎縮はしないんですよ。毎晩の報道を見て頂ければ分かるように、それは言論機関に対して私は失礼ではないのかなと思いますよ。それは言論機関に対して失礼であって、萎縮している機関があるのであれば具体的に言って頂かないと分からないんですが。まさにそれは私は失礼な話ではないのかなと思いますし、むしろこれはなかなか安倍政権の立場を弁護する立場の言論の方はなかなか貫き通しにくい雰囲気すらあるという人もいる訳でございまして、これは全くその批判は当たらない。むしろその事をはっきり言っておかないと、外国から誤解される恐れがある。「まるでそんな国だ」と思われる訳でありますから、そんな事はないという事をハッキリとテレビを通じて申し上げておきたいと思います。

上記のように半分ギャグを交えつつ笑って返すぐらい余裕があったわけで、総理大臣になろうという人はこのような気持ちの余裕や肝要さが求められるのだろう。その点では菅総理も黙って耐えていたように思う。
本人への批判的なハッシュタグやリプのみならず、野党をフォローしていただけでもブロックされたという人は数多い。どのように調べているのか不明であるが、かなり深い部分までエゴサしているのは間違いない。ブロックがバレるとそれを拡散されて自分のイメージが下がる可能性もある訳で、自分の都合の良い情報だけを耳に入れたいのであればSNS等退会してリアルでイエスマンだけを置いておけばいいのであり、ネットの世界にいる以上は様々な情報が強制的に耳に入る環境であり、それを理解すべきであろう。勿論度を超えた投稿はどうなのかという議論があるかもしれないが、ブロックは最終手段と捉え、それ以外の方法を原則として運用するのが特に総理を目指す人であれば望ましいとしか言いようがない。