五輪開催の目的「勇気と希望」「国民の命健康守る」ネット大喜利状態

政府による五輪開催の目的や条件は、日々変貌している。最初の頃は「人類が感染症に打ち勝った証として」あるいは「震災復興の証として」等と言っていたが、現在はそれは封印し、ここ数日はアンパンマンみたいな「勇気と希望を届ける」とか「国民の命と健康を守る」みたいな曖昧かつ概念的な言い回しに終始している。これも偉い官僚が作った台本で、野党のどんな追及を受けてもこの使い回しテンプレ回答を答えていれば良いだけなので総理からしても気楽なのだろう。官房長官時代に記者からどんなに鋭い追及を受けても「指摘は当たらない」等テンプレ回答してきた歴史があるので、同じように官僚から台本をもらってそれを喋るだけの方が彼の気質には合っているのだろう。
さて、野党は「命と健康が守らなければ当然やらないとの事だが、具体的な数値や条件は」と尋ねているが、政府からの具体的な回答はないようだ。なにをもって命と健康が守られたと判断するのか、ステージ1ならOKと判断するのか、ワクチン1日200万回打てばOKとするのか、誰にでも分かる明確な判断基準が必要だろう。各都道府県の知事が五輪関連イベント等を中止や縮小している中で、仮に開催されても身内で盛り上がる運動会のような物になるのは間違いない。それに多額の税金が投入されると考えると国民の理解は得られないだろう。徐々に外堀は埋まってきているような気配がするが、政治が答えを出す日は近いのかもしれない。